スクランブル

2017年4月16日

渋谷ほどではないにしても、信号が青になると四方八方から一気に人が溢れ出す。
そして誰もぶつからず、目的の岸へたどり着く。
田舎者には、なかなかのスペクタクルである。
何かに似てるな、とずっと考えていたのだけど、それが何なのかわからないままである。

立川

2017年4月13日2017年4月13日

立川は多摩地区の首都なのだそうだ ( 笑 )
こんなことを書くと、八王子の人が起こるらしいが、何せ越して来て半年の田舎者が聞きかじって書いていることなので。
まぁ、確かに我が国分寺からすれば、立川は見上げるような都会の顔である。
なんだかんだ言っても、国分寺は長閑なのである。

こういう街に来ると、小さいカメラで撮りたくなる。
路地から路地へ。
都会というのは表情も豊かなのである。
どこの街も似たようなもの、という人もいるが、そこはそれ。
気持ちの持ちようなのである。

僕は写真の原点というのはストリートスナップにあると思っている。
ニセフォール・ニエプスが残した最古の写真は、窓からの街の眺めであった。
近頃は小賢しい理屈をこねまわす連中によって撮りにくくなっているが、アナタが今朝何時に起きて、どこに行って、何を食べてといった、アナタが誰も知らないはずと思い込んでいる事は、その筋がその気になりさえすればあっという間にわかってしまう世の中なのである。
そんな楽しい夢を見ている人たちの世迷い言に付き合ってストリートスナップが淘汰されてしまう、なんて事はあってはならないのだ。

ラジカセ

2017年4月13日

今日、昼休みに同僚と「ラジカセ」の話になった。
その話題が成立するのだから、話し相手は同年代である。
僕よりいくらか若い連中は、初めて手に入れたラジカセがステレオのダブルカセットだったとか、さらに若いと CD プレイヤーが付いていたとかだが、僕はモノラルのカセットも一つだけのものだった。
確か小学生の頃に、家の何かの家電を買い換える商談に、こっそりと紛れ込ませたのである。
同時期に初めて自分の部屋を与えられて、自分の権利でチャンネルを独占できるラジオに俄然興味が湧いていた頃だ。
当時は自分の部屋にテレビなんて夢のまた夢であった。
ウチにもラジオはあったけれど、それはお爺さんがナイターを聞くのに必要なものであったから、僕にはなかなか「くれ」とは言い出せない代物であった。

さぁ、購入の許可が下りると、出入りの電気屋さん ( 昔は家電量販店に行くよりも、馴染みの電気屋さんで買うことが多かった ) にカタログ一式をもらって来た。
そこからは文字通り「寝ても覚めても」である。
あちこちで聞きかじった情報をカタログに書き込み、学校以外どこに行くにも持ち歩き、暇を見つけては「ラジカセのカタログ」を眺め続けた。
家族で食事に出かけるときにも持っていたら、さすがに父にいい加減にしろと叱られた。

諸条件 ( 主に価格 ) をクリアして、その前提で「これ」だと決めるには、その調子だからかなりの日数がかかった。
小学校の 4 年か 5 年の頃に買ってもらったそれを、僕は高校まで使っていた。
高校に入ると、今度はダブルカセットのステレオラジカセを入学祝いに買ってもらった。

書き込みだらけのカタログは引っ越すまで実家にあった。
ソニーだかの、当時としてはそこそこの値段のものだったと思う。
僕はそれでラジオを聴きながら、中学の頃の定期考査の勉強や高校受験の勉強を、深夜までやっているフリをしていた。
深夜放送が華やかりし頃で、当時のトップアーティストたちが深夜放送をやっていた。
次々にかかるヒットナンバーに心奪われた。
勉強どころではなかったのだ。

いつの頃からか、何かを買うのにカタログを貰わなくなった。
昔は必ずもらって、それを眺めては吟味し、想像し、悦に入ったものである。
初めて買ったラジカセに CD プレイヤーが付いていたと宣った氏に聞くと、彼はそれを買うのにカタログは貰わなかったという。
量販店に行って、予算に見合うものを「さっ」と選んで買ったという。
それをいつまで使った?と聞くと、覚えていないそうだ。

買い物ひとつにもドラマがあった。
そんなのは年寄りのセンチだとからかわれるだろうか。
僕は今でも、そのラジカセの電源スイッチやカウンターをリセットするボタンの感触を、はっきりと思い出すことができる。