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ヘインズ

過日

これに行きたいんだけど

僕は青年期の男の仕草そのままに、つっけんどんに父にパンフレットを見せた。
アメリカへの交換留学。

「金はあるのか」
バイトで貯めたのはあるけど全然足りない
「じゃあ、出せってことか」
そう

父はふんと鼻を鳴らすと、黙ってパンフレットを見ていた。
それ以上何も言わなかった。
かくして、一人暮らしの経験もない僕は、約一年の間、家を離れることになった。
僕は一人息子で、両親の庇護の元、何一つ不自由のない生活をしていた。
欲しいものはほとんど手に入ったし、だいたい「欲しい」と口に出すことすらあまりなかったほどだ。

そんなボンボン育ちの僕でも、このままではダメだと言うのは感じていた。
家を出ないと、何も始まらないと思っていた。
父も、そんな僕の思いを察していたのかも知れない。

カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校では、学校の寮に入った。
寮といってもほとんどアパートで、僕の部屋にはルームメイトがいた。
中国人だったが、身長が 2m 近くもある男で、体臭がきついのには閉口した。

最初の 2 週間くらいは、あっという間に過ぎた。
授業は当たり前だが全て英語なので、耳が慣れてくるまで、さっぱり要領を得なかった。
部屋に帰ると、その日の復習と翌日の予習。
それをきちんとやらないと授業についていけないのだ。
だから一日はものすごいスピードで過ぎていく。
一人暮らしの、細々した面倒ごとを苦にする暇さえなかったのだ。

そんなある日の夕方、ポツンと時間が空いた。
いつもはカフェでコーヒーでも飲んで過ごすのだけど、その日はぼんやりと寮まで戻っていた。
まだ携帯電話なんかない時代なので、寮の中庭には公衆電話が置いてあった。
僕は日本に電話をかけた。

日本を出る時、英語で電話がかかってきたら、それは僕でコレクトコールの確認だから「イエス」って言えばいいから、と念を押して置いたから、電話はすぐに繋がった。

「どうだ」
うん、元気でやってる
「そうか」

男同士など、こんなものかも知れないが、僕は全身の力が抜けるほど安心した。
母に代わると、体調のことから食事、そして洗濯に到るまで微に入り細に入り話をした。

電話を終えてから、僕はこの数日洗濯をしていないのに気づき、部屋の片隅に重ねて置いてあった洗濯物をランドリールームに持って行った。
下着やらシャツやらを放り込んで、ぐるぐる回るタンブラーを見ていた。
さっきの両親とのやりとりを思い出していた。
僕は初めて「ホームシック」というものを知った。

うっかりジーンズと白い T シャツを一緒に洗ってしまったので、T シャツが青く染まってしまった。
綺麗に染まっていればいいのだけど、かなりムラに染まってしまったので、学校の生協のようなところでシャツを買うことにした。
ヘインズのパック T シャツ。
真っ白な  T シャツは、赤く焼けたカリフォルニアの夕日に染まっていた。

夜バラ

2017年5月16日

一応自宅安静中なのだけど、何だかんだと引っ張り出される。
まァ、そうして呼ばれるうちが華なので、無理のない程度 ( これが一番難しい ) に出ている。
日中にウチで一人でいると、かなり余計なことを考えてしまう。
ちょっとくらい散歩してくるのもいいのだけど、もう部屋で転がったまま 4 時の声なんぞ聞いたりすると、もう外に出る気力がなくなる。
無気力中年の出来上がりである。

この写真も昨日、夜になってからいやいや近所のコンビニに行った時に撮ったもの。
これでは身体がよくなる前に精神的にダメになりそう ( 笑 )

デスクからの景色

2017年5月14日

室内のワークスペース ( と書くと何やら大仰だが、要するにパソコンなどを置くスペース ) を窓際に移動したので、ふと目線を上げると、こんな風景が見える。
写真は昨日のものだが、ぼんやりと赤い月が昇り始めていた。
以前住んでいた 9 階とは違って高層階の眺望は望めないし、外を歩く人や走る車の音が結構大きい。

だけど、意外とこの環境が気に入っている。
僕が育った実家は幹線道路の抜け道沿いにあって、昼も夜も車がひっきりなしに走るところだ。さらには商店街の中だったので人通りも多かった。
多分そこに似ているせいだろう。

実家での僕の部屋は西側に窓があったので西日が盛大に当たった。
冬は西風が吹き付けるし夏場は焼けつくように暑かった。
そんな部屋だが、そこにはいい思い出しかない。
もちろん多感な頃を過ごした場所なので、実際には色々あったのだけど、それらは時間の経過が浄化しているのだ。

新しくしたスペースでこれを書いている。
何かが始まるのだ。

2017年5月13日

自分の部屋から夜の外にレンズを向けた写真をどこかで見た気がした。
思い至ったのは木村伊兵衛翁である。
晩年、体調が思わしくない頃、自宅の部屋から外を撮影した写真を思い出していたのだ。

漫然とした重苦しい憂鬱。
体調をおかしくしていると、ずんと心に重しを乗せたような気分になることがある。
窓の外を見ると夜の闇が広がっている。
自分が、その闇の中に沈み込んでいくような感覚に見舞われる。
闇のひんやりとした感覚。
その暗闇を覗き込む時、ふとニーチェの「怪物を倒そうとする者は、自らが怪物とならぬよう気を付けよ。お前が深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いているのだ」という言葉を思い出す。
これは怪物を倒すくらいの力を持った時、自分も怪物となりうるのだ、という意味だが、暗闇を眺めていると、その奥から何かがこちらを見つめているような錯覚を起こす。

木村翁が何を思っていたかなどは分からない。
しかし、その写真から感じ取った「ひんやり」とした冷気は、たった今僕も感じることができる。

トンカツ

2017年4月26日

いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。

これは美味しんぼの中のセリフで、「それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。」と続く。

言い得て妙である。
おそらくは世間に数多ある様々な価値観は、経済学的にもこのセリフに集約するのではないか。
毎日、毎食トンカツを食べるのは胃の具合をおかしくしてしまうだろうから、まァ、よく食べても週に一度か二度。
今日お邪魔した「とんき」はロースもヒレも 1500 円だったから、ちょっと贅沢なサラリーマンの昼飯という立ち位置で考えても悪くない。

トンカツを食ったからといって何か自慢になるわけもなく、かといって侘しい食事ではない。
キャベツもトンカツも白飯を引き立てる。
しっかりと飯を食うことができる。
豚肉は疲れを取る効果があるし、それが午後、あるいは明日への活力になるのなら、やはり 1500 円程度の投資はすべきなのだ。

なども一人、ああでもないこうでもないと理屈をこね回していたら、とんきは池波先生の通われた店なのだと聞く。
なるほど、ね。

春霞

2017年4月10日

土曜日に実家へ行って、父の忌明け法要を行って来た。
急逝だったので、何も細かいことが出来ていないが、やはり人ひとりが死ぬというのは大変なことなのだ、と実感している。
昨年の今頃は、娘の進学に伴い引越しだとかで、とても慌ただしい日々だった。
春というのは、好むと好まざるとに関わらず、気もそぞろで落ち着かないのが常である。

その土曜の夜は、中学生の頃の友人たちと一献。
声をかけると集まってくれる嬉しい連中と楽しいひと時を過ごした。
考えてみると、中学生のわずか 3 年を ( 中には小中合わせて 9 年という友人もいたが ) 一緒に過ごしただけの関係であるのに、それから何年経っても、当時の印象と変わらないままで会って話ができるというのは不思議である。
社会人になってから出会う人は、もう十数年の付き合いであるのに何となく心を開けないままでいる人が結構いるのに ( これは僕の性格でもあるけれど )、その数年間で築いた関係は何物にも代え難く、また嬉しい繋がりなのである。

卒業して 36 年。
この友人たちが、この先いつまでも会える友人であるようにと思わずにはいられない。