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夜バラ

2017年5月16日

一応自宅安静中なのだけど、何だかんだと引っ張り出される。
まァ、そうして呼ばれるうちが華なので、無理のない程度 ( これが一番難しい ) に出ている。
日中にウチで一人でいると、かなり余計なことを考えてしまう。
ちょっとくらい散歩してくるのもいいのだけど、もう部屋で転がったまま 4 時の声なんぞ聞いたりすると、もう外に出る気力がなくなる。
無気力中年の出来上がりである。

この写真も昨日、夜になってからいやいや近所のコンビニに行った時に撮ったもの。
これでは身体がよくなる前に精神的にダメになりそう ( 笑 )

デスクからの景色

2017年5月14日

室内のワークスペース ( と書くと何やら大仰だが、要するにパソコンなどを置くスペース ) を窓際に移動したので、ふと目線を上げると、こんな風景が見える。
写真は昨日のものだが、ぼんやりと赤い月が昇り始めていた。
以前住んでいた 9 階とは違って高層階の眺望は望めないし、外を歩く人や走る車の音が結構大きい。

だけど、意外とこの環境が気に入っている。
僕が育った実家は幹線道路の抜け道沿いにあって、昼も夜も車がひっきりなしに走るところだ。さらには商店街の中だったので人通りも多かった。
多分そこに似ているせいだろう。

実家での僕の部屋は西側に窓があったので西日が盛大に当たった。
冬は西風が吹き付けるし夏場は焼けつくように暑かった。
そんな部屋だが、そこにはいい思い出しかない。
もちろん多感な頃を過ごした場所なので、実際には色々あったのだけど、それらは時間の経過が浄化しているのだ。

新しくしたスペースでこれを書いている。
何かが始まるのだ。

夜はやさし

真夜中の街は憧れだった。
九時には布団に入るように言われていた頃、真夜中の街を想像してワクワクしていた。
真夜中の学校はどんなだろう。
いつもバスの中から見る、あの橋の欄干にある街路灯はどんな色だろう。
デパートのネオンはどうだろう。
テレビで見る夜の街の様子を重ね合わせて、今すぐに飛び出して行って見てみたい衝動に駆られていた。

自分の意思で自由に夜の街に行けるようになったのは、やはり高校を卒業した頃だろうか。
自動車の免許を取ったことが、僕の行動をずいぶん自由にした。
夜な夜な僕は子供の頃に見たかった場所の夜の風景を確認するために出かけた。
好きな音楽を聴き、好きな場所へ好きな時間に好きなように出かけられる。
ああ、何と自由なのだろう、と思ったのだ。

それからしばらくすると、僕は夜の街へ酒を飲みに出かけるようになった。
酔っ払ったサラリーマンの姿や艶かしいドレスに身を包んだ女性たち。
それまで何度も通ったことのある場所が、夜には全く違う顔になるのを知った。

上気した顔を風が撫でるのが気持ちいいのを知り、僕はでたらめに街を歩くようになった。
その行き先には、あの頃に布団の中で想像してワクワクしていた場所があった。
真夜中の学校は、本当に怪談に出てくるような不気味な場所になっていた。
あの橋の欄干にある街路灯は、何の味気もない白色でがっかりした。
デパートのネオンは明るく街路を照らしていて、テレビで見た通りだった。

それから …。

朝が来なければいいと祈る夜があった。
夜はいつも優しく、僕はそれに包まれて眠る。
やがて朝が来ると、僕はひたすら夜を待つようになった。

フィッツジェラルドは、そんな僕と一緒に酒でも飲んでくれるだろうか。

彼は、チューリッヒの真夜中どきに、街頭の光の向こうに見えるよその家の食器部屋などをじっと見つめながら、自分はいい人間でありたい、親切で、勇敢で、賢明でありたい、だがそれはいかにもむずかしい、などとしょっちゅう考えていた。そしてまた愛されたいとも考えた。もし自分がそれにふさわしい人間であるならば、と。