大銀杏

2017年4月18日2017年4月18日

間近には見当たらなかったけれど、多分どこかに説明を書いたものがあるのだろう。
この鶴岡八幡宮の大銀杏は、鎌倉幕府第三代将軍であった源実朝を暗殺した公暁が身を潜めた場所という伝説がある。
僕らの世代は「いい国作ろう鎌倉幕府」と鎌倉幕府の成立を 1192 年と暗記したが、今は「いい箱作ろう」という具合に 1185 年という説もあるらしい。
まァ、1192 年だろうが 1185 年だろうが、頼朝が「幕府作ります!」と宣言したわけでもないので、だいたいその辺りということになるのかも知れない。
1192 年は頼朝が征夷大将軍になった年だし、1185 年は守護・地頭が置かれた年だ。

判官びいきというか、実弟である義経に対する処遇など、身内に対しても対立する相手に関しては冷徹な面がクローズアップされるせいか、源頼朝は人気がない。
以前も書いたが、頼朝は名古屋生まれである。
母である由良御前は熱田大宮司である藤原季範の娘であることから、頼朝の出生は現在、熱田神宮の西側にある誓願寺だとされている。
信長、秀吉、家康については祭りまでやって学校でも地元の英雄として扱うのに、頼朝は歴史の授業の一環で触れるのみである ( 頼朝が名古屋生まれであるのは、僕は大人になってから知った )
武家政治の創始者としての功績は大きく、過小評価されている感は否めない。
義経とて、頼朝とは異母兄弟である点 ( 義経の母は常盤御前 ) や壇ノ浦の合戦の後、後白河上皇に懐柔され官位まで勝手に得てしまった点、東国の武将からの不満などなど、頼朝にすれば自分の地位を危うくしかねないと考えるのも無理からぬところも散見されるのである。

さて、この大銀杏。
平成 22 年 3 月 10 日の未明に折からの強風の影響で倒れてしまう。
しかし再生を願った蘖からは新しい芽吹きが見られ、根を絶やすことはなかった。
公暁が実朝を暗殺した頃には、まだ幹が人を隠せるほど大きくなかったという説もあり、この話が広がったのは江戸時代であったことから、鶴岡八幡宮は暗殺の舞台ではあったけれども … という説も有力である。
誰も見たことはない話なのだから、まァ、仕方ないのかも知れない。

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