昭和 41 年

2017年5月19日

僕は昭和 41 年生まれなので、こうした風景は日常的に見ていた。
家から数分のところに「どんぐり広場」と言う公園があり、そこにはブランコやジャングルジムなどの遊具もあったが、子供達に人気があったのは、こうしたただの土管だったりしたものだ。

2017年5月19日

またこうした焼杉やトタンの壁なんかも普通にあったものだ。
ホーローの看板も懐かしい。水原弘のハイアースや大村崑のオロナミン C なんかはしっかりと記憶している。

前にも書いたことがあるが、僕が物心ついた頃には、戦後わずか二十数年した経過していないにも関わらず、戦争の痕跡はほとんど見当たらなかった。
名古屋城も復元されていたし、僕の実家のあたりは一面焼け野原になったらしいが、満遍なく家が立ち並び商店街は賑わっていた。

仮にそれが昭和 45 年だったとして、今が昭和 45 年だと考えると、戦争が終わったのが平成 5 年である。
平成 5 年といえば、皇太子と雅子さまが結婚された年だ。

2017年5月19日

まァ、一昔前の印象はあるが、それほど大昔でもない。
24 年という月日はそういう月日だ。
生まれた赤ん坊が、すでに社会人になっている。

しかし写真で見る限りの話だが、あれほど灰燼に帰したといっていい街が、その時間で破壊の痕跡すらも残さずに元通りになっていたのには、改めて驚く。

むかしは良かったなどという積りはない。
実際良い訳がないのだ。
現代の利便性などに頭の天辺まで浸りきった僕らが、過ぎた時間に対して抱くノスタルジーは、結局記憶の浄化でしかないのだ。

ただぼんやりと思うことには、やはりあの頃は楽しかったということ。

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