高橋是清について

2017年5月19日

山田風太郎の「人間臨終図鑑」に拠れば

有馬頼義『二・二六事件暗殺の目撃者』 によれば、
「裁判記録では、是清は蒲団をはがれるまで眠っていたようになっているが、(女中の)阿部千代の証言は、反対であった。信ずべき報告によれば、是清の寝室にはいったのは、中橋基明(中尉)と、中島莞爾(少尉)の二人だけであった。

中橋は先ず『天誅!』と叫んだ。それに対して
高橋是清は 『馬鹿者!』と、どなりかえしている。高橋是清はそのとき、八十三歳の高齢であった。

『父はとしをとっていましたし、寒いときでしたから、寝巻の上に、真綿のチャンチャンコを着て寝ていたんですが、殺された父の姿を、私は正視出来ませんでした。
拳銃で撃たれて横に倒れたところを、日本刀で斬りつけられ、右腕は胴からはなれ、蒲団の外へぶらんと出ていました。

(中略) 胴は胴で、輪切りにされていました。これは全く惨殺です。死んだ者に、幾太刀もあびせているんですから、これくらい惨酷なことはありません。(後略)』と高橋是影(是清の六男) は語っている」

とある。

僕はどういう訳だか、高橋是清という政治家がとても好きである。
今ここで政治云々を述べるつもりはないが、良い意味でも悪い意味でも政治家たる者どこか突出したカリスマ性を持つべきであろうと考えている。
そういう意味において、実に七度の蔵相に就任するなど、後にも先にも恐らく居ないのではないだろうか。

2017年5月19日

この事件の一報を聞いた天皇陛下は

天皇は事件を聞いて「朕が股肱の老臣を殺戮す。此の如き凶暴の将校等その精神に於ても何の恕すべきものありや」と激怒した・・・・・・真相は右のごとく狂気の凶行で、天皇の怒りは当然である。

とされている。
様々な論説の中、青年将校たちの一途な思いに同情する向きもあるようだが、自分たちの考え方のみに正義を見出して、国の安泰を危機に晒したのはテロと呼ばれても致し方ないのではないか。

2017年5月19日

松尾伝蔵  ( 内閣総理大臣秘書官事務取扱/私設秘書・予備陸軍歩兵大佐 )
高橋是清  ( 大蔵大臣 )
斎藤実 ( 内大臣 )
渡辺錠太郎  ( 教育総監・陸軍大将  )
警察官 5 名
が死亡。
鈴木貫太郎  ( 侍従長・海軍大将 )
ほか警察官や斉藤実内大臣の夫人らも負傷している。
襲撃箇所は、総理大臣官邸、高橋大蔵大臣私邸 ( 写真 )、東京朝日新聞社、日本電報通信社、報知新聞、東京日日新聞社、国民新聞社、時事新報社、斎藤内大臣私邸、渡部教育総監私邸、鈴木侍従長官邸、陸軍大臣官邸、陸軍省並参謀本部、警視庁、後藤内務大臣官邸、牧野元内府。

決起部隊の首謀者である皇道派青年将校の理論的指導者だった北一輝は、( ここからは私見であることを述べておく ) その著書「国体論及び純正社会主義」で「明治維新の本義は民主主義に有る」として天皇制を批判している。
天皇の国民ではなく国民の天皇であり、国体は基本的人権が尊重され、言論は自由であり、階級制度はない、というのが明治維新の本来の姿ではなかったか、としている。
一般に二・二六事件は右翼思想とされているが、北のこの考え方は、まさに戦後日本の原論である日本国憲法そのものである。
しかし、北らの思想は「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ」、クーデター、戒厳令という強権体制への国家改造を推し進めるものであった。

2017年5月19日

高橋是清は 1927 年の昭和大恐慌時に三度目の大蔵大臣を務めており、モラトリアム ( 支払猶予制度 ) や紙幣の大量印刷によって当面の金融危機を回避し、1931 年の犬養内閣ではイギリスに次いで二番目の早さで金輸出を再禁止し、金本位制度から管理通貨制度に移行させた。
これによって「金の保有量」に制限されない積極財政政策を行いやすくなり、大量の国公債発行による公共事業や軍事への投資が可能になった。
高橋是清はケインズ政策の先駆けとも言える公共事業・軍事予算を活用した「積極財政政策」を実行して、大量の国債を日銀に引き受けさせることで財政規模を拡大したが、国債・通貨の大量発行によってインフレが発生してデフレスパイラルの大不況を離脱する原動力にもなった。

何やら現代でもよく聞くキーワードが並んでいる。
面白いのは、北一輝の思想は岸信介にも影響を及ぼしていると言われ、当然孫である安倍晋三も少なからず、その考え方には影響されていると考えられる。
その北一輝らに暗殺された高橋是清が推し進めていた「積極的財政政策」を、その思想の影響下にある安倍晋三は推し進めている点である。

結局、高橋是清が襲われたのは、極端なインフレを抑制するために赤字国債と国家予算を縮小しようとし「軍事費の削減」に手をつけたためだとされるが、これこそまさに「木を見て森を見ず」であり、文芸評論家である花田清輝をして「ホームラン性の大ファウル」といわしめた北一輝の理想論が招いた事件であろう。

江戸東京たてもの園にある高橋是清邸の暗殺の現場になった二階の寝室に立ち、そっと手を合わせて、そんな事を考えていた。

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